学びに夢中になる経験は、モノゴトの本質を見極める力になる
Facebookでシェアされていた記事が、私の研究テーマに非常に響くものだったのでご紹介します。
「ピタゴラスイッチ」は何がすごいのか、「だんご3兄弟」がなぜあれほど印象的なのか、といった個別の要素が重要なのではなくて
佐藤氏が実践しているのは、「相手に伝える」表現の新しい方法を生み出すこと。
「作り方を作る」と表現しています。
そうして伝えたものを
「新しい、価値のあるもの」
として一瞬で見抜けるかどうかもまた、能力の一つであると佐藤氏は言います。
何がおもしろいのか。僕は夢中になることを「studious」っていうラテン語で表していて、「study」は「勉強」と訳しますけど、本当はそ のstudyの語源はstudiousといって、夢中になる・熱中する、という状態なんです。ですから「studio」なんかでは、みんなが熱中して物事 を作ったり撮影したりしているわけですけど。
「studious」になることを覚えた子どもだったら、将来は表現をやろうと、例えば研究をやろうと、あるいは物を作る人になろうと、やっぱり1つのものへの集中の仕方がわかっているので、自分のやりたいことに到達できるんですね。
一番いけないのは、体裁だけを整えて「こっちの方がなんか見栄えがいい」とか、表面だけのことを覚えて、取り繕うことだけは巧みになる、というのが、僕がすごく恐れていることなんですね。
例えば野球をやっていた子っていうのは、中途半端なおもしろさ、シュールなおもしろさみたいなものには「つまんないんじゃないの、それ」って一言で看破できる力を持っているんですね。
なにかに夢中とか熱中した経験のある子だったら、何が本当におもしろいのか、何が本当に美味しいのかとかというのがわかる。
子ども時代に「学びに夢中になる」経験をすることで、将来、自分が「これだ!」とのめり込むほどのものを「自分で」見つけることができるのかもしれない。
佐藤氏のインタビューを読んで、そう思いました。
「学びに夢中になる」ことが重要である、ということは何となく分かっていたけれど
それが何に繋がるのか?を真面目に考えたことがなかったので、一つの解として非常に参考になりました。
他にも、あるだろうか。