未知の領域に取り組む力
もう数年来、わりと真面目に
「どうしたら、子どもが自ら夢中になって学ぶだろうか?」
ということを考えています。
学ぶ対象は勉強でなくても良いと思っていて、時を忘れてぐっと集中するようなモチベーションは、何をもって形成されるのだろう?
ということに興味があるのです。
それで3年くらい前に、長男を公文に通わせることにしました。
公文に通わせようと思った理由はいくつかあるのですが、一番の理由は、先取り学習ができるということ。
何学年も先の勉強をしていること自体というよりも、そこにチャレンジして、達成することは、本人の自信に繋がるのではないか?
そして、その繰り返しが、学ぶことは楽しい(=もっとやりたい)に繋がるのではないか?
と考えていました。
甘えん坊でいまひとつ自分に自信がなくて、どうにも頼りない長男には、達成感をもった根拠のある自信をつけることが重要ではないかと、そう考えての公文だったのです。
はじめは学力よりもずっとずっと下のレベルから始めて、コツコツ進めていくうちに気づけば3学年先まで進めることができました。
でもその間、時には辛くて涙を流しながらプリントと向き合うこともたくさんありました。
でも不思議と
「やめたい」
とは一度も言わなかったんですよね。
いまは苦しいけど、きっと乗り越えられる、ということが無意識に分かっていたのではないかと思います。
そんなこんなで山あり谷ありで親子で一緒に続けてきて、目標をひとつ達成したいま
あらたて気がついたことがあります。
あれだけ苦しい、いやだ、と言いながらやっていたプリントなのに
今では家に帰るなり手洗いもそこそこに、机に向かって始めるようになりました。
そして、その集中力がすごい。
(隣で妹が大声で歌っていても全く気にならない様子・・・)
公文の先生からは
「能力が開発された」
と言われました。
まさに公文の目指す
が実現されつつあるのではないかと。
辛い→頑張ればできるかも?→やってみたらできた→意外と簡単かも?→次もやってみよう→もっとやってみよう
といったいい循環ができたのだと思います。
それこそが、私が思い描く「自ら学ぶ、楽しんで学ぶ」であって、彼はいま、その世界を少し垣間見ているのではないかな、と。
子どもを楽しませる要素はいろいろあるとは思いますが、自分で自分を超える経験というのは、自信に繋がり、それが学ぶことの楽しさへと繋がるのではないか。
そんな仮説がひとつ検証できたように思います。
彼が3学年先の学習をしていることは、実はどうでもよくて、
本人が学ぶことを楽しいと感じてくれて、自ら学びたい、と考えるようになったこと自体が、親として、「子どもの学び」を自分自身のテーマに選んだ身として、
非常に良い結果に繋がったな、と実感しています。