「創造する人」「発明する人」を育てる教育が必要な理由
プログラミング教育の動向を追っていると、IoTの話にぶつかることが増えてきました。
プログラミングそのものが、モノづくりの一環なので、ICTを活用したモノづくりとか、モノとICTが一体化することによる新しいサービスとか、観点はいろいろあります。
先日、とあるイベントにてCerevoの岩佐社長の話を聞く機会がありました。
私自身、IoT分野が不勉強のため、いまはそんな時代になってるの?!
と驚きの連続でしたが、非常に勉強になりました。
紹介されていた商品の中でも特に印象深かったHackey。
スマートロックのように見えて、実は何もロックしないというところが面白いコンセプトです。
このデバイスは、キー操作をイベントとして感知できるので、いろいろなことに応用できるんですね。
岩佐社長の話では、たとえば、高齢者の自宅に置いて、鍵を抜いたら外出、挿しこんだら帰宅、の合図として遠方にいる家族に知らせる「高齢者見守りサービス」に応用できることが紹介されていました。
この辺の発想は、SonyのMESHと同じなんだろうなぁ、と思います。
商品そのものを売るというよりも、商品やサービスをつくるための部品を売る、という発想でしょうか。
イベントの中では他に、明治大学 先端メディアサイエンス学科の宮下教授から
"人間は表現を消費せずにはいられない"
そして、技術の進化によってその表現は
"誰でもできるようになった"
という話がありました。
まさにDIY。
誰にとっても分かりやすい価値を提供する商品が売れた時代から、
これ何?何につかうの?
というような商品が求められる時代に変化するのかもしれないなぁ
なんてことを考えます。
様々なパーツを組み合わせることによって新しい価値を生むような、そんなモノづくりを誰でもができるようになるのだとしたら
これからの子どもたちには創造力や発想力がより必要になる、という昨今の風潮は全くその通りだなぁ、と思います。
レゴでもいいし、電子工作キットのlittleBitsでも良いのですが、汎用的なツールを使って、自由な発想で自分の手を動かして創る経験というのは、子どもたちにとってとても重要なことなのですね。
そういった時代になるのだとすると、
まったくのゼロから何かを創造する人
あるものを組み合わせて新しいものを発明する人
誰かが発明したものを使う又は少しだけカスタマイズして使う人
のように人を分類することができて
創造できる人、発明できる人と、あるものを使うだけの人との間には大きな差ができるだろうなぁ、と。
私たち大人が生きた時代は大半が「使うだけの人」だったけれど、「創造する人」「発明する人」の割合が増えるのだとしたら、そうした人材を育てるために必要な学びや教育は何か?
ということを真面目に考えていかなければいけないですね。