チーム学習のために最適な環境とは何か? その3
私が見学した授業は幼児クラスで、男子2名+女子4名の6名を対象にPBLをベースにしたプログラムが行われていました。
そのプログラムの中には随所に、自分がチームに貢献できることは何か?チームメンバーの良いところを引き出すために自分には何ができるか?を考えさせるきっかけが埋め込まれていました。
それは主に池田先生の問いかけが発端となるのですが、そうした問いを投げかけられることで、子どもたちは常にチームを意識することになります。
その部分だけを切り取ると、単にチームへの貢献を意識させるプログラム、になるのですが、本当にすごいのはそこではなく、そのチームに参加する各メンバーは、事前に自分がナニモノか?を見極めているというところです。
プログラムの中に寸劇があり、各自が決めた役割を演じることになりました。
そのとき、ある男の子はあまり気の進まない役を選ぶことになり、テンションが落ちてしまったのです。
その姿にいち早く気づいた女の子たちが
「ごめんね、やりたくない役になっちゃって」
などと気を遣い始めたのですが、すかさず池田先生からは
「自分のことを可哀想な子って思ってほしいの?それでいいの?」
と強い口調で突っ込みが入ります。
その様子に周りの子どもたちも静まり返り、見ているこちらもハラハラしました。
あとで聞いたところによれば、甘えん坊の末っ子なので、ついついそうしたポジションをとってしまいがちな子なのだそう。
でも自分自身は、強い男になりたい、と思っていて、だったらそう振る舞おう、ということを自分で決めたのだそうです。
見た目にはあどけない可愛らしい子どもたちでしたが、実はそうやって自分はナニモノか?ということを突き止める学びを乗り越えているとのこと。
要するに、自分自身はどうありたいか、周りからどう見られたいか、ということについて腹を決めるということですね。
大人でも出来ていない人がたくさんいる中で、子どもたちは時に涙を流しながら取り組むと聞いてびっくりしました。
そうして自分と向き合った子たちだからこそ、自分自身を解放することができる、即ち大事だと思うことでも手放す勇気がもてる。
そしてそれはチームに対して自分が貢献するために必要なことでもある、という池田先生の説明がすごく腑に落ちました。
PBLの根幹は恐らくここにあると思っていて、チームの中で自分がどのように貢献できるかを考える続けることであり、そのためには自分自身ととことん向き合っておく必要がある、ということですね。
今回の授業を見学して、私なりにPBLを活用した学習について言語化してみます。
まず自分自身の価値観を明らかにし、それをチームにぶつけて受け入れてもらうことで成功体験を積み自己肯定感を高める。
そうした体験を通じて、自分自身の殻を破り、他者を思いやる気持ちや貢献しようとする気持ちを育む。
そのために大切なことは
・自分はナニモノか?を知ること(=価値観の見極めプロセスが必要)
・安全に受け入れてもらえる場でこれらの体験ができること(=同質のコミュニティが必要)
ということになります。
そこで前述のDUAL記事へ戻るのですが、コミュニティという存在は子どもたちの学びにおいて非常に重要な役割を担うということを、あらためて再認識しました。
先生との対話を通じて理解したのは、家庭教育ではできないことがある、ということです。
自分自身の価値観を受け入れてくれる関係性の中で、自己肯定感と他者への貢献意欲を育むこと。
PBLによってそのような経験を積み重ねることが、非常に重要なことではないか、と考えます。
そのために必要なものはコミュニティである、と池田先生は断言します。
つまり、価値観を安心して共有し合い共に成長しあえるコミュニティの存在が学習には不可欠である、ということです。
そのようなコミュニティが、ごく一部の層だけが経験できる効果な学習プログラムではなく、ごくごく身近に実現できるとすれば、家庭でも学校でもない、3つ目の子どもの居場所となるのではないか、と期待しています。
そんな活動が近々動き始めます。
共感してくれる方は是非、一緒に作りましょう!